240年前の江戸のクリエイター・山東京伝に学ぶ「余白」の美学と遊び心

『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』、 一見すると漢字ばかりで何だかわからない、この仰々しい題名は、「江戸前うなぎの蒲焼」をもじった見事な洒落なのです。

黄表紙という大人向けの絵本が生まれた18世紀後半の江戸では、絵で言葉を当てる「判じ絵」や、「下戸にごはん(猫に小判)」と音をもじる「地口」といった言葉遊びが大流行していました。

「江戸前うなぎ」を「江戸生まれ浮気」へと変換したこのタイトルは、主人公が江戸生まれで、艶二郎という色男を気取る物語であることに由来しています。

240年も前の作品でありながら、現代の絵本作りにも通じる「余白」の魅力と、作者・山東京伝の驚くべき仕掛けについて紐解いてみたいと思います。

江戸時代にもいた「自意識過剰な目立ちたがり屋」

物語の主人公の艶二郎は、浮名を流して親から勘当されるという「粋な色男」の型に憧れるあまり、自ら「勘当してほしい」と親に願い出るような自意識過剰な男です。

当然そんな勝手が許されるはずもなく、思い詰めた彼は、お金を払って遊女と「心中の真似事」を企てます。

曽根崎心中のように大騒ぎを起こせば世間の評判になり、色男としての箔がつくはずだと考えたのです。

最後に念仏を唱えるというところで仲間が助けに来る段取りだったのですが、その前に運悪く追い剥ぎに遭い、身ぐるみ剥がされてしまいます。

実はこの追い剥ぎ、艶二郎を懲らしめるために、父親が密かに雇った者たちでした。

語らないからこそ伝わる「絵本の余白」

この作品の真の魅力は、滑稽なドタバタ劇の裏側に潜む「余白」にあります。

丸裸で実家に逃げ帰った艶二郎が、自分の着物が衣桁(いこう)に掛けられているのを見つける場面が描かれています。

父親は「お前を懲らしめたのは私だ」とは一言も言いません。

ただ、盗まれたはずの着物がそこにあるということだけが絵で描かれています。

それを見た艶二郎はすべてを悟ります。

追い剥ぎは、父親が息子を諭すための命がけの芝居だったのだということを想像させる場面です。

叱る言葉より、黙って掛けられた一枚の着物を描くことで、不器用ながらも深い親心を見事に伝えているのです。

作者の山東京伝は、一番大切な結末で、父親の愛情をあえて文章にせず、「たった一枚の絵」に託して言葉を消しました。

すべてを説明し尽くすのではなく、語られない部分を絵が語り、絵に描かれない親子の心情を読者が想像して補う。

この「余白」があるからこそ、読者の心に物語が深く刻まれます。

これこそが、文章だけの小説にはない「絵本」という表現形式の最大の魅力ということです。

240年前のシュールで秀悦な結末

さらに驚かされるのは、この物語の結末です。

すっかり改心した艶二郎は、自分の愚かな行いを反省し、「後世の者が同じような馬鹿な真似をしないように、黄表紙にして世間に知らせてほしい」と、なんと作者である山東京伝に執筆を依頼するのです。

つまり、「今まさに読者が手にしているこの本自体が、最後に主人公が発注したものだった」というオチです。

240年前の作品とは思えないほど、シュールで秀逸な構造です。

なぜ京伝は、このような結末を書いたのでしょうか。

私は大きく分けて4つの理由があると考えます。

  1. 艶二郎は最後まで「見栄っ張り」だった。改心したと言いながらも、「自分のことを本にして世間に知ってもらいたい」という自意識過剰な性格は、結局最後まで変わっていなかったという人間の滑稽さです。
  2. 野暮な「教訓」にしたくなかった 。「浮気心を捨てて真面目に働きなさい」というような、説教くさい道徳物語で終わらせることを嫌った粋な計らいだったということです。
  3. 物語を「事実」だと思わせるため。 「本人から頼まれて書いた」と宣言することで、まるでドキュメンタリーのようなリアリティを持たせるためだったということです。
  4. 山東京伝自身の「自己アピール」。 のちに京伝は、自分の店を開き、その宣伝を作品にさりげなく入れるような人物で、結末で自分自身を登場させ、売り込もうとしたしたたかさがあったのではないかと感じられます。

クリエイター自身が面白がって遊ぶこと

この見事な仕掛けを読み解くうちに、私は山東京伝という人物に、昭和のあるクリエイターの姿を重ね合わせました。

放送作家であり、マルチに活躍した青島幸男です。

彼は『大人の漫画』という番組で、放送作家として台本を書きながら自ら画面に登場し、「こんなのやってられるか」と自分の書いた台本をこき下ろすのです。

作者が作品の中に顔を出す面白さは、艶二郎の物語に登場する京伝と見事に重なります。

大人が楽しむ絵本を作っていく上で一番大切なことは、読者を楽しませる前に、まずは自分自身が心から面白がって遊ぶことなのかもしれません。

江戸の天才クリエイターである山東京伝の作品は、時代を超えて、創作の根源的な喜びと絵本の本質を私たちに教えてくれています。

モフ子

1951年3月 東京生まれ

定年退職をきっかけに、絵本を作り始めました。

思いやりや友情、助け合いをテーマに、森の仲間たちとともに成長していく、モフ子の姿を綴ったものと、大人のための絵本を書いています。

さらに、絵本の歴史と起源について書いています。