毎日ブログを書いていると、ふと「今日は何を書けばいいのか分からない」と感じる日があります。
体調がすぐれなかったり心が疲れていたり、そのような日は誰にでも起きることです。
ブログの使命は、読者のために書くことです。

書く前にこの言葉は誰に届いてほしいのかと想像すれば、不思議と書くことが見えてくるものです。
相手の立場になって考えることが、ブログを続ける力にもなります。
それでも、どうしても手が止まってしまうときは、無理をせずに今の自分の気持ちをそのまま書いてみることも大切です。
読者にとって飾らない言葉が、ふとした気づきとなり心に届くことがあるからです。
たとえば、今日一日の出来事や感じたことなど、それが日記のようであっても、読み手にとっては何気ない気づきや共感を生む価値ある情報になることがあります。
今回は、「ネタがない日」だからこそ書けるブログのあり方について、私なりの視点でお話しします。
ネタがない日こそ、自分を見つめるチャンス
ブログを続けていると、どんなに意識していても今日はなにも思い浮かばないという日が訪れます。
「誰かの役に立つことを書こう」と思えば思うほど、何を書いていいかわからずに手が止まってしまうのです。
でも、そんなときこそ少し立ち止まって、今、自分は何を感じているのかに目を向けてみましょう。
つまり、今日は体調がよくない、書きたい気持ちはあるけれど頭が働かない、書こうとしてもテーマがまとまらない。
こういったことも、ブログを書く上で重要な情報として読者の役に立つことになります。
読者にとって、自分だけじゃないんだと共感してもらうことも重要なブログとしてのテーマなのです。
完璧じゃなくていいので、ありのままを伝える
ブログは情報発信の場と聞くと、正確なデータや具体的なノウハウを想像しがちになります。
読者に役に立つ情報は、知らないことを教える価値ある情報として書かなけrばならないからです。
しかし、これからのブログは情報だけを発信するのではなく、その人にしか書けない人の気配が感じられる文章が主流になってきます。
たとえば、今日は体がだるくてブログを書く気になれなかったけど、それでも少しだけ書いてみました。
その結果、分かったことは、完璧ではなくても素直な気持ちでブログに向き合って、そこで気がついたことを書くことでも立派に人の役に立つブログになるということです。
そのような等身大の自分の言葉が、読む人の心にやさしく届き、それがブログ本来のものであるということです。
情報としての価値は、必ずしも知識や技術だけにあるわけではなく、自分らしい暮らしの断片が、誰かの安心やヒントになるということもあるのです。
日記のような記事も情報になる
「今日は、体調がすぐれず何もしないで、ただベットに横になっていました」
このような文は、いわゆる日記という個人の出来事を書いたことになるのですが、たとえばこんな風に書き加えるだけで立派な情報になります。
「今日は体が少し身体が重くて、ゆっくり休むことにしました。このような日は、無理をせずに休息することで元気を取り戻し、明日に備えてベットに横になることが一番であると決めました」
このように書くことで、ゆっくり休んで早く元気になって頑張ろうといったメッセージになります。
休むことが罪悪感と思っている人に、休んで元気になることが大事であるというメッセージが、誰かの心を軽くさせることになるかもしれません。
つまり、どう過ごしたかという日記ブログに対して、どう行動したかを添えるだけで情報に変わってくるのです。
何も思いつかない日は、自分の気持ちを発してみる
個人ブログは、ただ出来事を記録するだけの場所ではありません。
自分の感じたことや、悩んだこと、迷った気持ちを正直に言葉にすることこそが、誰かを救う力になります。
特別な知識や経験がなくても、今日はこんなことでつまずいた、こんなふうに乗り越えたといった日常の小さな気づきが、同じ悩みを抱える人の心にそっと寄り添うことができるのです。
誰かの心を癒すのは、完璧な言葉よりも、共感できる言葉です。
あなたが感じたこと、考えたこと、体験したことを、自分の言葉でつづることが、読者の背中を押すきっかけになります。
だからこそ、無理に飾らずかっこよくまとめようとせず、自分の正直な気持ちを大切にしながら書いてください。
その言葉は、きっと誰かに届くはずです。
そのようなわけで、今日は体調がすぐれないために、短い記事のブログになってしまいました。
みなさんも、風邪をひかないようにしてください。