
あのときの自分は、どこか空っぽやった。
大学を卒業してみたものの、まともな就職もしないでフリーター生活に明け暮れしていた。
自分の気持ちとしては、新たな事業を始めて起業家になるのが夢だった。
けれども、差し迫って何をやるのかわからないまま、喫茶店でアルバイトをしていた。
そこで、知り合ったおっちゃんから、ブログで収益が上げられるということを聞いて始めてみたものの、アクセスも伸びないし、何を書いたらええかも分からんし、これ、意味あるんやろかって思う日々が続いていた。
目次
届いた一通のメール
ある日、タケルのブログあてに一通のメールが届いた。
女性からで、ブログのことなど何にも分からないけれど、同じようにブログを始めたタケルさんの文章を読んで、自分も始めてみようとしたという内容であった。
「タケルさんの記事を読んで、ブログを書くことに挑戦する気持ちになって、私にとってなにか気持ちが軽くなりました」
タケルは、ブログを書くことの意味を、ありのままの気持ちで綴っていたからである。
思いがけない、相手からの告白で、それだけで画面の向こうに誰かがいることを実感したのです。
タケルにとって、自分の言葉が、誰かに届いていたんやっと思った瞬間でした。
今まで適当に書いたいたつもりはなかったけど、自分の中ではまだまだと思ってた記事だったから驚きでした。
そのメールがきっかけで、タケルの中の何かが少し変わった気がします。
誰かに向けて書くようになった日
それまでは、うまく書くことばかり考えていました。
どうすれば検索に引っかかるかとか、どうしたら収益につながるのだろうといったことばかり頭にあって、何かを心から書きたいという気持ちはどこかに置き去りになっていたのです。
タケルにとって、最初の目的は「収益」でした。
でも、届いた一通のメールは、タケルのその考え方を少しずつ変えていきました。
「あなたの記事を読んで、私もブログを始めてみようと思いました」そのような言葉をもらったとき、自分のブログが誰かの心に届いたと初めて感じたからです。
それからは、収益のために書くのではなく、誰かに届く記事を書けば、結果として収益もあとからついてくると、そのように思えるようになりました。
自分の悩みや失敗、ちょっとうれしかった出来事などを、自分の言葉で素直に書くことで、読んでくれた人が元気になったり、自分も頑張ろうと思ってくれたりする。
こんなに素晴らしいことはないと気がついたのです。
そうしたことから、収益っていうのは目的ではなく、結果なんだとようやく分かってきました。
誰かとつながることが生きがいに変わる
会ったこともないけど、名前も顔も知らんけど、「わかるよ」って言ってくれる人がいる。
知らない誰かと、知らないどこかで気持ちがつながることの喜び。
メールをくれる人もいれば、黙っていても毎回のように読みに来てくれる人もいる。
それは、ほんとうにありがたいことだった。
ブログは心を届ける手紙みたいなもの
ブログって、ある意味、誰かへの手紙なんやと思う。
顔も見えへん相手に、あなたに届けたいって気持ちで書いた言葉は、ちゃんと相手に届くんや。
自分が書いたことが共感してもらえたとき、自分はこのまま続けていこうと思える。
そして、たとえ一人でも、読んでくれる人がいるかぎり、もうそれだけで十分やって思えるようになった。
ひとりじゃないと思える場所がブログにはある
タケルは、あの日以来、少しだけ変わった。
上手く書くだけが、ブログではないということが分かったからである。
ブログを書く目的は、自分の考えなりが誰かに届いたらそれでええということやった。
そんなふうに肩の力を抜いて書けるようになったことで、ブログを通じて、ひとりやないって思えるようになった。
共感は見えないけど、誰かがどこかで見ているはずだ。
まだ出会いない人も含めると、とにかく毎日のように書いていくことで、いつかどこかで出会う人がいる。
それがあるだけで、人生ちょっとだけ前を向いて歩くことができた。
タケルとしたら、これからも自分の言葉で、自分の気持ちを綴っていこうと考えている。
こんなことあったで
ブログを書き続けてると、不思議なもんで、毎日のちょっとしたことに目がいくようになった。
道ばたに咲いてる草花とか、商店街のシャッターに描かれた落書きとか。
前は気にも留めてなかったことに、「あ、これって記事にできるかも」って思うようになってきた。
そうなると、毎日がちょっとだけ楽しくなるんやな。
そして、いろいろなことを調べるようになって、何気なく通り過ぎていたことも、ブログをやるようになって興味が湧いてくるようになった。
おっちゃん、ちょっと旅に出ようと思うんや
いつものように喫茶店でスポーツ新聞を広げながら、「また阪神負けたなぁ」と呟いていたおっちゃんにタケルは声をかけた。
新聞を読んでいておっちゃんは、上目づかいでタケルを見ると、「なんや急に」と言った。
「実は昨日、たまたま見つけたブログがあってな。『旅と暮らしの日々』っていう記事で、佐藤徹也さんっていう旅のライターの人が、国内外の徒歩旅行や、銭湯行脚、下町の食堂巡りなど書いてあるんや」
もう読んでるだけでその場の匂いや音がしてきそうな記事ばっかりやった。
なんてことない風景を、なんでこんなに味わい深く書けるんやろって思ってな、読んでたら、うずうずしてきて、俺も、こんなふうに歩いてみたいってなったんや。
何かをすることで見えてくるもの
実はな、自分も街歩きが好きなんや。
昔から、「変わりゆく町並み」とか、「裏道の静けさ」とか、そんなとこにふらっと行っては、ちょっとだけ立ち止まるのが好きやった。
路地裏とか、古びた商店街のポスターとか、使い込まれた錆びた自転車とか、そんなものの日常に誰かの暮らしがにじんどる気がしてな。
自分のブログにしか書けん風景がきっとある
思うんやけど、旅って、特別な場所に行くことやなくて、いつもと違う目で日常を歩くことなんやろ。
有名な観光地やなくて、ちょっと気になった町を歩いて、自分の目で見て感じたことを書く。
それって、きっと誰かにとっての共感の種になるのと違うやろか。
だから決めたんや、明日から一週間、休みを取って歩いてみることにした。
お金はあまりかからんし、健康にもええし、取材旅行としてブログの記事を探してくる。
ブログを書くことの面白さ
ブログは書くことで、自分の中に眠っていた感じる力が目を覚ましてきた気がするんや。
ブログを書くようになって、人生がいきいきしてきたように感じる。
自分だけの視点で見たものを書き残すことが、いつか誰かの心にちょっとでも触れるかもしれん。
【登場人物が分からない方はこちら】→ 大阪のおっちゃんと仲間たち
タケルのとってブログを書くことは、人生を有意義に生きるきっかけになることができたことだった。