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自分にしか書けへんブログって何やろ(前編)|おっちゃんが語る心が届く記事の描き方

一年前の夏のある日、ゲリラ豪雨に追われるように、ひとりの若い女性が喫茶店に飛び込んできた。

手にはずぶ濡れになりそうな大きなキャンバスを抱えていた。

「大丈夫ですか」

タケルが声をかけると、とっさに乾いたタオルを手渡す。

彼女は近くの美大に通う花井アキコ18歳。

大事な課題の絵を濡らすまいと、雨宿りにこの喫茶店に駆け込んできたのである。

それから、アキコは時折、この店に通うようになった。

おっちゃんともタケルとも、顔を合わせれば軽く会釈を交わす程度で、面と向かって言葉を交わしたことはない。

絵にもブログにも 気持ちを込める

ある日、また雨が降り出した時、アキコがキャンバスを抱えて入ってきた。

「よう降るなあ」おっちゃんがポツリと言うと、アキコが少し笑った。

おっちやんの席の近くに座ったアキコが、

いつも面白い話されてますね。

と、声をかけてきた。

「なんや、聞こえとったんかいな」

おっちゃんが笑いながら新聞をたたむ。

アキコは少し迷いながら、ぽつりと打ち明けた。

「私、絵を描いてるのですが、最近、自分の絵に自信が持てなくて…」

しばらく考えていたおっちゃんが、コーヒーをひと口すすって言った。

うまくことだけが絵ではない

「絵にしてもブログにしても、うまい下手ではない。自分にしか書けない、心を届ける事ができるかどうかや」

タケルも、前にブログで何を書いたらええか分からんって悩んでたやろ。

でもな、どれだけうまく書いたとしても、心が乗ってへん記事は、読み手にはなんか空っぽにしか見えへんのや。

その時のタケルは、誰かに読まれる記事って、テクニックやSEOが大事なんちゃう思ってて、うまいこと書いてやろうと考えてばかりいて、結局、読者に愛されないブログになっていた。

その時、アキコがゆっくりうなずくと、

「私も、構図とか色合いとか、技術ばっかり気にしてた時期があって、でも、ある日、道端の紫陽花を見て『あ、これ描きたい』って思って、素直に描いた絵が先生に褒められました」

そこなんや、紫陽花を見て感動したことを素直に表現したからで、その気持ちを描く事ができたから先生も褒めてくれたんや。

つまり、なんでもそうだけれど、基本的な技術は大事やで、でも、絵もブログもそこだけではない。

自分が感動した気持ちをそのまま誰かに伝えたいということが大事なんや。

これからの時代、技術的な事ならAIに書かせたものの方がきっとうまいものになる。

でもそれだけではないというのは、作者が何を相手に届けるかという気持ちがなければならないということや。

何を書きたいかではなく何を届けたいか

絵とブログって、よう似とるんや。

最初は何を描こうって自分の好きなもんばっかり描いてまう。

でもな、ある日ふとこの絵を誰に見せたいんやろって思った瞬間、筆の運びが変わるんや。

ブログもおんなじや。

何を書きたいかやのうて、誰に、何を届けたいかを考えるようになったら、言葉にぬくもりが出てくる。

上手い下手やない、自分の気持ちが込もってるかどうかや。

それが、人の心を動かすことになるんや。

絵もブログも、ほんま、心を込めたらちゃんと伝わるもんや。

それができれば、自信があるかないかなど気にすることないのと違うか。

心を込めることが個性になる

個性ってな、特別な才能とか変わった経験のことやと思われがちやけど、ほんまはちゃうねん。

大事なんは、どんなテーマでも、自分の感じたことを、自分の言葉でちゃんと素直に書くことや。

心を込めて考えた言葉は、不思議とな、その人だけの色がにじみ出るもんや。

同じことを書いてても、あんたが思ったこと、あんたが選んだ言葉、それがあんたにしか書けへんブログになるのと一緒や。

うまく書こうとせんでええ。

心がこもっとるかどうか、それが一番の個性や。

絵かて同じやで。

誰に届けたいかが見えたとき作品は変わる

ブログも絵もな、不思議なもんで、誰に伝えたいかが見えてきたとたんに、ぐっと変わるんや。

ただ自分の気持ちを出すだけやと、どこか空回りしてしまうこともある。

でもな、あの人にこの思いを届けたいって思った瞬間、言葉も色も自然とやさしくなるんや。

伝えたい相手の顔が浮かぶと、無意識に言葉が選ばれて心が文章にのってくる。

それが、読み手にじわっと伝わるんや。

これは絵も同じやと思う。

相手が見えたとき、ほんまの表現が始まるんやと思うわ。

AIの時代に、絵もブログもどのように変わるか

最近な、絵もブログも、AIが作る時代になってきたやろ。

うまい絵も描くし、文章もサラッと書いてまう。

そうなったら、人間がやる意味あるのかって、不安になる気持ちにもなるやろ。

でも、違うねん。

AIはたしかに大したもんやけど、心までは描かれへんのや。

ほんまに感動する絵とか、じんわり胸にしみる文章ってな、書いた人の気持ちがにじみ出とるもんや。

それが“個性やし、あんたにしか出されへん色なんや。

つまり、おっちゃん、思うねん。

これからの時代は、上手いだけやなくて、ほんまに伝えたいことがあるかが問われる時代やって。

AIが出てきたからこそ、人の心がこもっとるもんが、いっそう光るんや。

このことについて、参考記事があるので読んだらいい。

AIは大工さん、あんたは建築家や

タケル、ええか。

これからの時代、AIと作者との関係は、家を建てる建築士とよう似てる。

まずな、建築家でありデザイナーは、こんな家を建てたいってイメージするやろ。

広いリビングがええとか、光がたっぷり入る窓を作るとか。

ほんで、そのイメージをもとに図面を描いて、実際にカタチにしてくれるのが大工さんや。

今では、図面を引かせるのも、家を建てるのも全てデザイナーがするわけではない。

最近では、デザインに合わせてAIが図面を引くんや。

そして、家を建てる大工さんに渡し建ててもらう。

でもその家は、デザイナーであり建築家の作品や。

どんな家を建てたいかは、作品を作る人しか決められへん。

そこの思いの部分が、その人の個性になるんや。

同じ材料、同じ大工でも、設計図が違えばまったく別の家ができる。

つまり、AIに仕事をさせてもいいが、最初のこんなことをしたいということを考えることが作者であるというこっちゃ。

だから、AIの時代になってますます、作者の個性が重要になってくるんや。

作品になるのは、気持ちが宿った設計だから

人が感動するのは、完璧な図面やのうて、その裏にある「こんなふうに暮らしてほしい」というやさしいデザイナーの設計の心や。

絵だってブログだっておんなじ。

AIに手伝ってもらってもええけど、あんたが読者に何を届けたいか、どんな空間にしたいかが、作品としての価値を生むんや。

そやからな、AIと競うんやなくて、うまく付き合うことや。

構成考えてもらったり、タイトル相談したり、AIを相棒にしながら、あんたにしか書けへんもんを、丁寧に届けていったらええ。

そうすればな、どんな時代でも、ちゃんと読んでくれる人はおる。

絵もブログも、誰かに伝えたいいう気持ちがある限り、それはあんたの宝物になるんやで。

だから、これからは、誰かに感動を届けるとか、誰かの背中を押してあげるような絵やブログを書くことが大事なことなんや。

おっちゃんが思うこと

せやからな、うまく描こうとか、ええこと書こうとか、そんなん気にせんでええ。

大事なんは、あんたの気持ちが、誰かの心に届くかどうかやから、それができていれば自信を持っていい。

今すぐに受け入れられなくても、それさえ守っていれば、いつかは認められる絵にもブログにもなる。

だから、あきらめて辞めないことだ。

続けていくうちに、自分がこれだというものがきっと見つかるはずや。

おっちゃんは、そのことが大阪を愛する東京もんの「大阪たこ焼き」だった

ブログも絵も、そしてこれからのAIとの付き合い方も、世の中はどんどん進化していくで、でも変わらないもんは、人を愛することであり、その人に届く自分の変わらぬ気持ちや。

それが作品で表現できれば、大いに自信を持つことや。

「ところで、あんたの名前聞いてなかったな」

「花井アキコです」

「アキコちゃんか。悩んだときは、いつでもおっちゃんここにいるで」

「よろしくお願いします」

「おっちゃん、店番頼まれていたのすっかり忘れてた。ほな、帰るで」

明日は、「ブログは誰かの行動を促したり、背中を押してあげるもの」というテーマで話したるわ。

【登場人物が分からない方はこちら】→ 大阪のおっちゃんと仲間たち

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