絵本や物語を作ろうと机に向かったものの、「何を書けばいいのだろう」「良いテーマが見つからない」と手が止まってしまうことはありませんか。
そんな時、私は無理に新しいアイデアを探し回ることはしません。
代わりに、自分の心の奥底にある「記憶の引き出し」をそっと開けてみることにしています。
眠っている記憶は、物語の原石
年齢を重ねていくと、すっかり忘れていたはずの昔の光景が、ふとした拍子に鮮やかに蘇ってくることがあります。
- 日が暮れるまで夢中になって遊んだこと
- 誰かにかけられて、胸が熱くなった嬉しい一言
- こっぴどく叱られて、涙をこらえた悔しい日の思い出
こうした何気ない記憶たちは、決して消えてしまったわけではなく、心の片隅の奥で静かに眠っているのです。
これらを一つずつ取り出してみることが、私にとってかけがえのない絵本のテーマ探しになっています。
大正生まれの母の思い出から生まれた絵本
一つの例として、私が最近思い返した「母の記憶」をお話しします。
大正時代に生まれた母は、「人に迷惑をかけてはいけない」「人としての道を外れてはいけない」という礼儀作法にはとても厳しい人でした。
その反面、「もっと勉強しなさい」と口うるさく言われた記憶は不思議とほとんどありません。
そして何より印象に残っているのは、どんなに家事で忙しく立ち働いていても、私が話しかけると必ず手を止め、しっかりと私の方を向いて話を聞いてくれる姿でした。
その厳しさの裏には、いつも私を優しく包み込んでくれる温かい眼差しがあったのです。
『いつもここにいるよ』の舞台裏
この母との記憶を引っ張り出したとき、私の中に湧き上がってきたのは「厳しいしつけ」の物語ではありませんでした。
忙しい毎日の中でも、子どもの言葉に必ず耳を傾けてくれる「絶対的な安心感」を描きたいと思ったのです。
そうして完成したのが、モフ子が登場する絵本『いつもここにいるよ』です。
モフ子のお母さんも、朝から晩までとても忙しく働いています。
それでも、モフ子が話しかければ必ず手を止め、目を見てうなずいてくれます。
絵本の中で、大事件は起こりません。
ただ、夜眠る前にその日あったことをお母さんに話す時間が、モフ子にとって最高に幸せなひとときになる。
そんな、母の深い愛情を描いた物語になりました。
歳を重ねるほど、物語の引き出しは増えていく
同じ「母との思い出」という引き出しを開けても、そこからどんなテーマを見つけ出し、どう物語を膨らませていくかは、書き手によってまったく異なります。
私たちが長く生きて歳を重ねるということは、それだけ心の中の「引き出しの中身」が豊かに増えていくということです。
さらに、若い頃には気づけなかった別の角度から、ひとつの記憶の物語を書くことができます。
もし今、何かを表現したいのにテーマが見つからず迷っている方がいたら、遠くへ探しに行く前に、まずは自分の「記憶の棚卸し」をしてみてはいかがですか。
あなたの中には、まだ物語になる日を待っている素晴らしいテーマが、きっとたくさん眠っているはずです。