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犬も歩けば棒に当たるが示す人生の教訓、行動こそシニアに求められること

「犬も歩けば棒に当たる」という諺は、二つの意味があります。

ポジティブな意味とネガティブな意味の両方があるのです。

努力や挑戦を続けていると、何らかの結果が得られるという意味に使われることがあるのですが、何か行動を起こしていると、思いがけない幸運に巡り会えるというポジティブな解釈で使われることがあります。

もう一方のネガティブな意味は、あまり深く考えずに行動すると災難に遭う可能性があるという警告の意味合いとして、余計なことをして災難を招くというように解釈されることもあります。

犬が歩き回っていると誰かに棒で殴られるように、あてどもなく行動を起こすと思いがけない出来事や結果が生じるということで、行動の結果として何かが起こることを示唆していることわざです。

ポジティブにとるかネガティブにとるかはその人の解釈によるのですが、どっちにしろ行動を起こさなければ何事も始まらないということが言えます。

2025年、あなたはどのような行動を起こしますか。

私が目指すもの

読者が直面している課題や興味を深く理解し、その課題に対して答えを導くようなブログを書くということが私の2025年の行動指針です。

シニア向けのブログテーマとして、生き方だったり暮らしとしての節約術といった、質素で豊かな老後についてのアイデアを提案したりと色々と考えています。

シニアにとっては老後の生き方として、趣味や健康維持、社会参加を促すための具体的な提案をするとともに、老後こそ気持ちよく楽しく生きてもらいたいと願うからです。

さらに、シニアにとって知らないことや初めての経験であることから、特に最新のテクノロジーやトレンドについて勉強して、知識を深めていく中で情報を発信していきたいと考えているのは、これは自分のためでもあるのです。

デジタル技術を活用したシニアのライフスタイルの向上は目まぐるしく発展しているので、難しく分からないからと拒否するのではなく、シニアこそ最新トレンドによって楽しい生活が望めるように挑戦することをしなければならないということになります。

シニアが行動の先にある何かを求めるためには行動こそ重要であるということで、犬にように歩かなければ良くも悪くも棒には当たらないのです。

結果を得るためには行動が必要

行動の先にある何かを求めて、一歩を踏み出す勇気を持つことが、人生をより豊かにすることになります。

行動しなければチャンスも結果も訪れません。

どのような結果も、何かを始めることで初めて生まれるのであって、たとえ望む結果が得られなかったとしても、その行動から得られる経験や知識は次の行動の糧となるのです。

同じように行動を示唆する仏教の言葉で、「百尺竿頭一歩を進む」というのがあります。

どんなに高い境地や状況に達していても、さらに一歩を踏み出して進むことが必要であるということで、現状に満足するのではなく行動によってさらなる成長や真理の追求が可能になるということです。

達成の先にさらに精進が必要であることを説いているので、犬も歩けば棒に当たるとは同じような意味にはならないのですが、共に現状に満足せず、自己を超える努力を続けることによって何か得るものがあるという行動の大切さを説いているのではないでしょうか。

行動こそ活力

シニアになると何かしようという活力が薄れてきます。

シニアにとって行動というエネルギーこそ大事なことで、犬も歩けば棒に当たるということは、行動しなければ棒という偶然の出来事かもしれないのですが、結果が生まれてこないということです。

シニアこそ家の中に引きこもらないで、行動を起こすことが生きる活力になるのです。

シニアにとって行動することは、健康や生きがいを得るための第一歩であり、人生の新しい可能性を探ることになります。

行動が生み出すのはエネルギーであり、社会や自分自身を豊かにする力となることです。

行動には次のような目的があります。

偶然の出会い

  • 新しい趣味、友人、アイデア、チャンスとの出会い。
  • 一見困難に見える経験でも、それを乗り越えることで成長が得られる。

自己肯定感の向上

  • 小さな成功や達成感が自信を生み、自己を肯定できるようになる。

社会とのつながり

  • 他者との交流を通じて、自分の役割や意義を再確認できる。

健康の維持と向上

  • 身体を動かすことで健康状態が改善され、さらに行動する意欲が湧いてくる。

行動が生み出すエネルギーは、自分自身から求めなければ、他者からあてがわれるものではないということです。

シニアよ書を捨てよ、町へ出よう

シニアになったら、閉じこもるのではなく行動を通じて活力を得ることが大事です。

シニアが人生をより豊かに、健康的に過ごすための具体的な指針として行動こそ生きるエネルギーだからです。

書を捨てよとは、知識や理屈だけに頼らず、行動を起こすことで現実の中に自らの答えや生きる意味を見つけることを意味します。

頭の中で考えるだけでなく、実際に行動することで現実世界との接触を増やし、新しい発見や経験を得ることがシニアが老後を豊かに生きることになります。

町に出て引きこもらないことは、シニアの孤独感や無力感からの解放です。

行動することで冒険心を持って外に出ることは、刺激を得るための方法だからです。

普段行かない場所を訪れたり、カフェや美術館で新しい発見を楽しむことは、理屈ではなく実体験こそ人生を豊かにし、活力を生み出すものとなります。

「シニアよ書を捨てよ、町へ出よう」は、行動することで得られる生きがいや未知との出会いは行動でしか得られないということであって、行動そのものが人生の活力を生むものであり、小さな一歩を踏み出すことをしなければ、良くも悪くも結果として棒に当たらないということになります。

シニアが老後の人生をより充実させ活力を得るためには、自分から積極的に行動を起こすことが必要で、それが老後の健康や幸福感、人生の意味を見つける大きな力となるのです。

ここで寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」という同じような題名の本があるのを読み返してみた。

既成概念という常識にとらわれない行動を通して、世の中にはびこっているエロスやギャンブル、無秩序といったものを全て否定するのではなく、そこから何かを掴むことが生きることになるという本である。

1960年から70年代にかけて、われわれシニア世代は、このような価値観の中で若者文化として闘ったのかもしれない。