前回書いた、桃太郎の物語をたどるうちに、嫉妬に揺れる姿や侵略者としての側面を知り、心に重たさを感じました。
やはり絵本は、綺麗で夢のあるものであってほしい。
そう願って調べるうちに、江戸時代の黄表紙よりもずっと前の時代に作られた「奈良絵本」の存在にたどり着きました。
室町時代末期から江戸時代初期にかけて作られた奈良絵本は、金や銀を使って一冊ずつ手描きされた、色鮮やかで贅沢な綴じ絵本です。
長い戦乱の世が終わり、ようやく落ち着きを取り戻した人々が抱いた「幸せになりたい」という願いが、大名や公家の嫁入り道具としても大切にされた美しい絵本の形になったのかもしれません。
人間の見栄や欲を笑いに変える黄表紙が人間の「影」を描いたものだとすれば、奈良絵本の艶やかさは、読んだ人の心に光が差す「陽」の存在だと言えます。

京都大学のアーカイブでその一つである『鉢かづき姫』を観ると、つらい逆境にありながらも人を恨まず、けなげに生きる姫の姿が描かれています。
母を亡くし、頭から外れない鉢をかぶせられ、継母に家を追い出されても、貴族の屋敷でまじめに働き続け、やがて若君と結ばれる物語です。
興味深いことに、伝わっている本によって、鉢をかぶせたのが「亡き母」であったり「観音さま」であったりと、細かなあらすじに違いがあります。
教育や戦争といった時代の大きな力によって作り替えられた桃太郎とは異なり、奈良絵本は一冊ずつ手で書き写される中で、写し手の「ここが大切だ」という思いが少しずつ重なり、形を変えていったのだと思います。
しかし、どれほど細部が変わっても、「つらい逆境に耐え抜けば、最後には必ず報われる」という力強い物語の「芯」だけは揺らぐことなく、500年もの間人々の心を打ち続けてきました。
奈良絵本の『鉢かづき』は、絵本ならではの表現と綺麗さに気づかされる大きな学びでした。
さらに、この物語の構造は、魔法の力で救われるヨーロッパの『シンデレラ』や、中国の『葉限』、日本の『米福粟福』など、世界共通のものです。
現実の暮らしでまじめに生きていても報われないことがあるからこそ、人々は「いつかきっと」という願いを物語に託し、幸せになる結末を見て自らも生きる力をもらってきたのだと思います。
絵本を作るとき、まったく新しい筋書きである必要はありません。
500年前の写し手たちが守り続けたように、たった一つの確固たる「芯」さえ通っていれば、舞台を現代の職場に変えても、読者は自分の状況を重ね合わせて深く共感してくれるはずです。
古い絵本の中に残されていたたくさんのヒントを胸に、私も、逆境を乗り越えようとする誰かを支え、心に光が差すような「陽」の絵本を描いていきたいと思っています。
