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シニア世代の思い出の映画『明日に向かって撃て』

シニアにとって暇を持て余して何もやることがない時は、なつかしの映画など観てみよう。

1951年生まれのこのブログの著者においては、心に残る映画をいくつかあげろといえば、ボニーとクライドの『俺たちに明日はない』(1967年)、『イージー・ライダー』(1969年)、『真夜中のカーボーイ』(1969年)、『明日に向かって撃て』(1969年)の、青春アウトローのような映画である。

1960年代後半から1970年代の初頭のアメリカ映画界における重要な映画であり、この時代は「アメリカンニューシネマ」と呼ばれる従来のハリウッド映画とは異なるリアルで反体制的な映画が多く作られた。

アメリカは1960年代、泥沼化するベトナム戦争に関与していた。

多くの若者が徴兵され、命を失う現実に直面していたのです。

日本においてもベトナム戦争反対の中、学園紛争から始まった東大紛争や成田闘争など社会が混沌としていた時代です。

そのような時代にこれらの映画が作られ、ベトナム戦争、ヒッピー文化、公民権運動など社会が大きく揺れていた時代の中で、これらの映画はその時代の不安や希望を象徴しています。

「自由」と「平等」という理想が疑問視される時代の中で、映画にも多様な価値観を模索する動きが生まれました。

若者にとって自由、反抗、孤独、友情など、人生において普遍的なテーマがこれらの映画には共通して描かれており、みんな先が見えない不安と共にもがいていたのです。

『俺たちに明日はない』にしても、銀行強盗をして生きようとする主人公たちにとって、明日という希望がない中で一生懸命に生きようとしていたということになります。

経済的な豊かさの中にある自由を失った若者の心の中に、反抗心からくる自由への憧れを求めていたのかもしれません。

自由への憧れといえば、『イージー・ライダー』は、当時の若者文化としてヒッピー文化やマリファナなど、その時代のアメリカを象徴する作品として、自由気ままに生きる2人の若者がオートバイで放浪の旅に出ます。

その旅で待ち受けていたものは、保守的で排他的なアメリカの現実です。

自由を求めて生きる若者と自由な国アメリカでありながら排他的なアメリカの現実が描かれていて、何を目標に生きればいいかわからない中で、自由とは何かを考えさせられる映画です。

真夜中のカーボーイ』も、田舎町のテキサスからニューヨークという大都市に憧れて出てきた青年が、憧れと現実の世界に翻弄され、それでもそこで知り合った病気の男と友情を育みます。

最後は共に暖かなマイアミに行こうと二人でバスに乗るのです。

夢が破れた孤独な男たちの姿は、夢を追うことの苦しさと儚さが描かれているのですが、それでも何かを求めて懸命に生きようとしているのです。

私たちシニア世代にとって、『俺たちに明日はない』『イージー・ライダー』『真夜中のカーボーイ』『明日に向かって撃て』といった映画は、単なる青春時代の思い出ではないのです。

これらの作品は、抑圧された時代の中で、自分らしさと自由を求めて生きた若者たちの姿を描いています。

私たちもまた、あの時代に本当の自由や幸せを求めて生きていたのです。

しかし、やがて社会に出て会社勤めをし、家庭を持ち安定した暮らしを送ってきました。

それはそれで幸せであり大切な日々だったのですが、定年を迎え子どもたちも巣立ち、ふと立ち止まるときがあるとしたら、そんな時に、これらの映画をもう一度観ることで、忘れかけていたあの頃の情熱や夢を思い出すのもいいのではないでしょうか。

これらの映画は、アマゾンプライムでレンタルしていて観ることができます。

   このブログを書いている人

一般財団法人メンタルケア協会のメンタルケア・スペシャリスト認定を取得し、シニアピアカウンセラー。

シニアの暮らしと生き方について、自分が感じたことなどをブログとして書いています。

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