浦島太郎のルーツは非常に古く、奈良時代の『日本書紀』や『丹後国風土記』、『万葉集』にまで遡ります。
当時の彼の名は「浦島子(うらしまこ)」、現在の京都府北部、丹後地方の漁師でした。
この頃の物語は、浦島子が海で釣り上げた亀が美しい女性に姿を変えるところから始まります。
女性は彼を、年を取ることのない海の向こうの不思議な世界へ案内します。
当時、中国から伝わった「不老不死」への強い憧れが背景にあったことから、憧れの地として物語に出てきたのです。
二人は結ばれますが、やがて故郷が恋しくなった浦島子は、女性から「決して開けてはいけない箱」を渡されて帰郷します。
しかし、地上ではすでに300年もの月日が流れていました。
絶望した彼は箱を開けてしまい、永遠の若さを失ってしまうのです。
室町時代:鶴と亀が舞う、最高にハッピーな結末
時代が下り、室町時代の「御伽草子」になると、主人公は私たちがよく知る「浦島太郎」という名前に変わります。
そして、物語の結末も驚くほどめでたいものへと変化するのです。
太郎が逃がしてやった亀が美しい女性となり、恩返しとして竜宮へ招くところまでは似ていますが、大きな違いはその結末です。
地上に戻り、七百年の月日が流れていることに気づいて玉手箱を開けた太郎は、なんとおじいさんではなく「鶴」の姿に変わります。
そして、亀である乙姫様とともに、仙人の住む山へ飛び立っていくのです。
「鶴は千年、亀は万年」と言われるように、二人は長寿と夫婦円満の象徴として神様として祀られました。
この大変縁起の良い結末から、当時の『浦島太郎』の奈良絵本は、大名や貴族の「お嫁入り道具」として大切に持たされるほどの大人の娯楽作品として重宝されたのです。
明治時代:教育の道具として書き換えられた「教訓」
では、なぜ私たちが知っている浦島太郎は、おじいさんになって終わる少し悲しい物語になったのでしょうか。
それは明治時代に入り、絵本や昔話が「子どもたちの教科書」や「唱歌」として使われるようになったためです。
この時代から、「子どもたちにいじめられている亀を助ける」という現在おなじみの導入が広まります。
その代わり、亀とのロマンチックな結婚生活や、鶴になって夫婦で永遠を生きるという壮大な結末は、教育の場から姿を消してしまいました。
「いじめをしてはいけない」「約束を破れば、おじいさんになってしまうという」、純粋な娯楽だった物語は、国語や道徳の教えを伝えるための分かりやすい教訓へと、その役割を変えられてしまったのです。
75歳の私が描くなら。「老い」は本当に罰なのか?
同じ主人公、同じ玉手箱の物語なのに、結末を一つ変えるだけで、「恋の物語」にも、「夫婦円満の象徴」にも、「道徳の教科書」にもなります。
物語というものの自由さと懐の深さに、改めて驚かされます。
もし今、75歳になった私が新しい『浦島太郎』の絵本を描くとしたらどうなるだろうかと考えた時に、 私はきっと、「老い」をテーマにして物語を描くと思います。
誰も知る人のいない、家族も友人もいない七百年後の故郷に、ひとり立ち尽くす浦島太郎。
もし彼が玉手箱を開けず、自分だけが若いまま永遠に生き続けたとしたら、それは本当に幸せなことだったのでしょうか。
私はそうは思いません。
自分だけが不老不死を手に入れても、共に笑い、共に年を重ねる人がいなければ、生きる喜びは味わえません。
玉手箱を開けて、しわくちゃのおじいさんになったことで、太郎はようやく「人間と同じ時の流れ」の中に戻ることができた。
孤独な永遠を終わらせてくれたあの白い煙は、罰ではなく、彼を人間の世界へ引き戻す救いだったのではないか。
私にはそう思えてならないのです。
結末をどう捉えるかで、物語は作者の思いを乗せてどこまでも自由に羽ばたかせることができます。
作品をどのようにまとめるかということは作者次第ということになります。