
はじめに
絵本をAIで作っているうちに、「絵本って、そもそもなんだろう」と、ある日ふと思いました。
モフ子の物語を描き、大人が読む絵本を考えてきました。
それは、自分の思いを絵と言葉にのせて表すことだと思い描いてきたのです。
でも、絵本そのものを私はちゃんと知っていたかというと、わからないまま描いていました。
知らなくても、絵本は作れます。
けれど、絵本というものを知らないまま大量に作っても、本当に良いものとして残っていかないのではないかとそう思ったのです。
絵本の研究といえば、たいてい明治からの児童文学の話になります。
けれど、絵と言葉で何かを伝えることは、もっとずっと昔からありました。
その時代の人たちが、どのようにして絵本という表現を作り上げていったのかを知りたくなりました。
たぶん、あまり興味を持つ人はいないでしょうが、私の老後の楽しみとして、少しずつ絵本が歩いてきた道をたどってみたいと思います。
絵巻の時代 ― 絵で教え、絵で楽しむ
絵因果経(奈良時代)
絵本のルーツを調べたいと思ったとき、何から手をつけていいのかわかりませんでした。
近くの市立図書館に古い文献が置いてあるわけでもなく、どこから調べていいのか、皆目わからないでいました。
そこで思い出したのが、学生のころに学んだ絵因果経(えいんがきょう)という仏典です。
お釈迦さまの生涯を、絵を添えてやさしく説いたもので、下段に経文を書き写し、上段にその内容を絵にしています。
絵本の始まりは、文章に絵を添えて、内容をわかりやすくしたことにあるのではないか。私はそう考えています。
絵因果経については、ウィキペディアを参照にしてください。
絵巻物(平安〜鎌倉時代)
平安時代には、源氏物語絵巻のように、絵と文章で楽しませる雅な絵巻物が生まれ、貴族に親しまれました。
鳥獣人物戯画や信貴山縁起絵巻も、この流れにあります。
地獄絵と絵解き(平安末〜江戸)
仏教の教えを絵で伝える流れも続いていきます。
地獄草紙や六道絵は、言葉だけでは届きにくい教えを、絵の力で心に届けようとしたものです。
やがて、絵を指しながら語って聞かせる「絵解き」が、人々のあいだに広まっていきました。
今の読み聞かせの祖先とも言えそうです。
この時代のことは、これから少しずつ詳しく調べて書き足していきます。
本の形へ ― 奈良絵本から江戸の草双紙へ
奈良絵本(室町末〜江戸初期)
絵因果経も絵巻物の形でした。
ページをめくる本の形の絵入り本が現れるのは、室町時代の終わりごろの奈良絵本です。
浦島太郎や一寸法師などのお伽草子に、色鮮やかな絵がつけられました。
名前に「絵本」という言葉が入っているのも興味深いところです。
草双紙(江戸時代)
江戸時代になると、木版で刷られた絵入りの本が、庶民の娯楽として数多く作られるようになります。
これが草双紙です。
草双紙は絵と文章が一体になった本で、どのページにも絵があり、文字は絵のすき間を縫うように書き込まれていました。
- 赤本:桃太郎やさるかに合戦など、子ども向けのおとぎ話
- 黒本・青本:浄瑠璃や歌舞伎、軍記物などを題材にした絵入りの読み物
- 黄表紙:世の中を風刺した、大人向けの滑稽な読み物
文章ばかりの本よりも、絵を添えることで読みやすく、面白い娯楽本として大流行しました。
その背景には、作者と絵師を組ませ、本を企画して売り出す版元の存在がありました。
黄表紙の時代には、喜多川歌麿や写楽の浮世絵を世に出した蔦屋重三郎のような版元が活躍しています。
本の形になり、庶民の手に渡り、子ども向けと大人向けに分かれていた。
私は、このあたりに今の絵本の直接の起源があるのではないかと考えています。
原本を見てみた ― 『金々先生栄花夢』
江戸時代の黄表紙を実際に見てみたいと思い、東京・永田町の国立国会図書館に足を運ぼうと考えました。
ところが、古い本は手に取って見ることはできず、デジタル資料として自宅のパソコンでも見られると教えられました。
そこで、国立国会図書館の利用登録をしたのです。
そして、安永4年(1775年)に鱗形屋孫兵衛から出た、恋川春町の作・画による『金々先生栄花夢』の原本を見ることができました。
黄表紙の始まりとされる一冊です。
紙の色や質感までわかり、江戸の誰かがこの本を手に取っていたことを思うと、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になりました。
絵を眺めて感じたこと
けれど、くずし字で書かれているため、せっかくの江戸の絵本を一文字も読むことはできませんでした。
それでも絵を眺めていると、若旦那や武士がこっそり料亭のようなところへ遊びに行っている様子が、なんとなく伝わってきます。
あとで調べると、田舎から出てきた男が金持ちの跡取りになり、遊びほうけて追い出される話でした。
子どもが読む絵本とは、まったく違います。
江戸には大人が読む絵本があり、それが人気を集めていたことがうかがえます。
この本は、挿絵入りの読み物ではないかと思われる方もいるかもしれませんが、黄表紙はどのページにも絵があり、文字は絵のすき間に書き込まれています。
文章が主体で絵を添えたものではなく、絵が主体で、そこに文章が寄り添えていると思えます。
江戸の出版の仕組み
本には、作者や絵師、版元の名前まで書かれていました。
江戸時代にも、今のような出版社と作者の関係があったということです。
「地本問屋(じほんどいや)」と呼ばれる、絵入りの娯楽本や浮世絵を扱う版元がたくさんあり、版元が本を企画し、作者と絵師を組ませ、彫師が版木を彫り、摺師が刷って店先で売るというシステムです。
分業の仕組みがすっかりできあがっていて、今の出版の仕組みとほとんど変わりありません。
名前を書くのは、決まりでもあった
本に作者と版元の名前を記すのは、享保7年(1722年)に幕府が出した出版の決まりによるものです。
徳川吉宗の享保の改革の一つで、幕府への批判や風紀を乱す本を取り締まるためのものでした。
名前をはっきりさせておけば、決まりに背いた本を差し止め、作者や版元を罰することができるということです。
今でいう検閲にあたる制度であると思われます。
恋川春町の最期
『金々先生栄花夢』を書いた恋川春町は、のちに松平定信による厳しい寛政の改革を風刺した黄表紙『鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)』を出しました。
これが幕府の怒りに触れて呼び出しを受けましたが、春町は病気を理由に応じず、まもなく寛政元年(1789年)に亡くなります。
病死とも自害とも言われ、その死は今も謎に包まれたままです。
二百五十年前の出版システム
作者がいて、絵描きがいて、版元がいて、読者が新刊を待ち望んでいる。
今と同じように人気作家を生み出す出版の仕組みが、二百五十年前の江戸にすでにできあがっていたのです。
年表 ― 絵本の起源と歴史
「教え」は心を救うための絵、「娯楽」は心を楽しませるための絵の流れです。年代は目安です。
| 時代 | 作品・形 | 流れ | ひとこと |
|---|---|---|---|
| 奈良時代 | 絵因果経 | 教え | 上に絵、下に経文。絵の下に文がある本の最古級 |
| 平安〜鎌倉 | 源氏物語絵巻、鳥獣人物戯画、信貴山縁起絵巻 | 娯楽 | 貴族の楽しみ。右から左へ時間が流れる |
| 平安末〜鎌倉 | 地獄草紙、餓鬼草紙、六道絵 | 教え | 言葉で届かないものを絵で届ける |
| 中世〜近世 | 絵解き(熊野観心十界曼荼羅など) | 教え | 絵を指して語る。読み聞かせの祖先 |
| 室町末〜江戸初期 | 奈良絵本(御伽草子) | 娯楽 | 「絵本」という名前の始まり |
| 江戸前期〜中期 | 赤本(桃太郎、さるかに合戦など) | 娯楽 | 子ども向けの絵本 |
| 1775年 | 黄表紙の始まり『金々先生栄花夢』恋川春町 | 娯楽 | 大人向けの絵本。作者は武士 |
| 1790年 | 『心学早染草』山東京伝 | 教えと娯楽 | 善玉・悪玉。教えと娯楽が出会う |
| 明治 | ちりめん本 | 娯楽 | 昔話を外国語で |
| 大正〜昭和初期 | 『コドモノクニ』『キンダーブック』 | 子ども | 月刊の絵本雑誌 |
| 戦後 | 『こどものとも』 | 子ども | 絵本が「子どものもの」になる |