AIを活用して絵本を作り始めたばかりの頃、私の心の中にふと、ある疑問が湧き上がってきました。
「文章を考え、イラストを描いてくれるのがAIだとしたら、私は一体何をしているのだろうか」
「出来上がった絵本は果たして、本当の意味で『自分の作品』と呼んでいいのだろうか」
AIに手伝ってもらうことで、自分が全てを作っていないのに、絵本作家と名乗ってもいいのだろうかと気がしてきたのです。
しかし、過去の自分の経験を振り返ったとき、その答えは意外なところから見つかりました。
映画監督の仕事を思い出して気づいたこと
私は若い頃、「いつか映画監督になりたい」という熱い夢を抱いていました。
シナリオの書き方を学び、写真の学校にも通い、映画関連の会社に就職したこともあります。
このことは、「75歳の絵本作家として夢見た日」に、空想好きな私が映画監督になろうと夢見たということが書かれています。
最終的にはその夢は叶わず、別の一般企業で働く道を選びましたが、当時の学びから思い出したことがありました。
それは、「一本の映画は、決して一人では作れない」ということです。
- 脚本家が物語の骨組みを作る
- カメラマンが美しい映像を切り取る
- 照明スタッフがシーンに合った光を作る
- 俳優がキャラクターに命を吹き込む
大勢のプロフェッショナルが関わって、ようやく一本の映画が完成します。
監督自身がカメラを回したり、演技をしたりするわけではありません。
映画は一人では作れなく、多くの人が関わって作られるのです。
このことと同じで、色々な人などに手伝ってもらっても、完成した作品は監督の作品ということになります。
漫画家の世界も同じようにできている
これは、漫画の世界でも同じことが言えます。
漫画家は「ネーム」と呼ばれる物語の設計図(あらすじやコマ割り、テーマなど)を考えます。
しかし、それを魅力的な商業作品として世に送り出すためには、二人三脚で歩む優秀な編集者の存在が欠かせませんし、背景などの絵を仕上げるアシスタントの力も必要です。
近年では、筆と紙ではなくパソコンのデジタルツールを使って絵を描くのが当たり前になりました。
道具が変わり、大勢の人の手を借りていても、根幹のテーマを生み出した漫画家の作品であることに変わりはないのです。
「何を作りたいか」を決めるのは、いつだって人間
映画監督や漫画家のプロセスを考えたとき、私の心はスッと軽くなりました。
AIを使って絵本を作ることも、実はこれらと全く同じだということで、AIの力を借りても最初の発想やテーマがあれば、自分の作品と言ってもいいということです。
「こんなテーマで、あの人に届けたい」
「この物語を通して、こんなメッセージを伝えたい」
その根っこにある一番大切な思いは、決してAIには生み出せません。
AIは、私の中にある見えない思いを、目に見える形にしてくれる「優秀なパートナー」という多束だけなのです。
だから、AIに作画など手伝ってもらっても、絵本を作ったのは作家そのものでいいということです。
AIをどう使いこなし、最終的にどのような作品として命を吹き込むかと言った技量こそが、作者である自分自身でさえあればいいのです。
ブログという舞台で、社会と繋がる幸せ
私は今、映画監督が大勢のスタッフをまとめるように、AIという優秀なスタッフと共に絵本『モフ子と森の仲間たち』を作っています。
だからこそ、完成した絵本は間違いなく「私の作品」だと、胸を張って言っています。
ただ、私の作品は本屋さんに並んでいるわけではなく、このブログという場所で発表しているだけですので、映画で例えればインディーズ(自主制作)作品のようなものかもしれません。
それでも構わないのは、 75歳という年齢になっても、AIという魔法の杖を手にして、絵本作りという楽しみができたからです。
仕事を引退して家で過ごす時間は長くなりましたが、こうして絵本を作り、ブログを通して発信することで、私はしっかりと社会と繋がってい流という生きがいにもなっています。
「これほど幸せな老後の生き方があるだろうか」と、 完成した絵本を眺めながら、私は今、そんな喜びに満たされているのです。