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75歳になって、運転しないという決断で手に入れた人生の余白

75歳になるにあたって、長年連れ添った運転免許証を警察署へ自主返納してきました。

仕事を辞めて、会社員時代のように毎日のように、車に乗る必要がなくなったことと、高齢者の交通事故のニュースを見るたびに、自分だったらと考えてしまうからです。

私自身、約50年間、車を運転してきたのですが、これからも無事故でいられるという保証はありません。

体の衰えや判断力の遅さなど、何かと感じるようになってきたということがあるからです。

そこで、今回、運転免許の自主返納という決断をしたのです。

悲劇を他人事と思わないために

先日も埼玉県熊谷市で、84歳の男性が運転する車が小学生の列に突っ込むという悲劇が起きました。

加害者は久しぶりにハンドルを握ったということで、信号の見落としが原因とされています。

私自身も、若い時のように瞬時にいろいろな判断をすることが、遅くなってきたという実感があります。

だから、こうしたニュースを見るたび、私は「自分は大丈夫だ」と言い切れる自信が持てなくなってきたのです。

被害者遺族の無念、そして加害者の家族においても、もっと強く運転を辞めさせておけばよかったという思いが悔やまれることでしょう。

「自分はまだ若い」という過信の罠

高齢ドライバーの多くは、長年の運転経験があるからこそ「自分は運転がうまい」「まだ若い者には負けない」と考えがちです。

しかし、身体的な衰えは残酷なほど正直です。

動体視力の低下、反応速度の遅れ、とっさの判断でのパニック。

これらは、歳をとってくると誰にでも平等に訪れます。

「停止線で止まらない」「車線からはみ出す」といった小さなサインを見逃し、過信したまま運転を続けることは、走る凶器を操っていることと同じです。

最近、大きな事故でなくても車を擦るような小さなトラブルが増えてきたとか、運転していてヒヤッとした経験が増えたというのがあったら、それは認知機能の衰えでしかありません。

高齢者の免許更新

日本は急速に高齢化が進んでいることから、高齢者でもハンドルを握らなければならない事情があります。

都市部のように交通インフラが充実していればいいのですが、地方に行けば公共交通機関が少ないため、高齢者にとって自家用車が生活必需品でもあるのです。

したがって、高齢になれば、すべて運転免許を返納しなければならないということは一概には言えないという事情はあると思います。

高齢者講習と認知機能検査

75歳以上の更新に義務付けられている「認知機能検査」は、本来、自分の衰えを客観視するためのものです。

自分の衰えを知ることで、できるだけ運転を控える方向に導くことを目的としています。

しかし、この講習を受けて免許を更新できた高齢者の中には、自分はまだ運転に問題がないと勘違いしてしまう人が少なくありません。

警察から、運転できるとお墨付きをもらったと勘違いをしてしまうのです。

このような誤解を防ぐためにも、高齢者自身が講習の目的を正しく理解し、自分の運転能力を冷静に見極めることが重要です。

大人としての最後の責任

運転に自信がなくなったり、高齢で判断力の衰えを感じるようになったら、誰かに止められて仕方なく辞めるのではなく、自分で身を引く決断をする必要があります。

それが、長年ハンドルを握ってきた大人としての最後の責任だと思っています。

そのようなことから、私は、自分から運転免許の自主返納をしたという次第です。

便利さと引き換えに背負っていたもの

車は、とても便利です。

雨に濡れず、重い荷物も運べ、好きな場所に出かけられます。

その一方で、運転中は常に緊張していなければなりません。

信号、歩行者、飛び出し、対向車などいろいろな情報を瞬時に判断しなければならないのです。

高齢になるほど、この見えない疲れは積み重なっていきます。

返納後、手続きが終わって警察署を出てきたら、なんだか肩がふっと軽くなったような気がしました。

「もう、誰かを傷つけるかもしれない」といった不安から解放された安堵感からかもしれません。

そのことが、私が手にした運転免許を自主返納して感じた最初の心の余白でした。

不便さが教えてくれる余白の時間

車を手放すと、移動は不便になります。

車なら15分で行けた場所も、公共交通なら一時間かかるかもしれません。

荷物の運搬も、簡単にいかなくなることでしょう。

けれど私は、その時間だったり大変さは、人生に必要な余白だと思っています。

便利だからと、無理して何かをするよりも、余白のある生活の中で、次のことを考えればいいのです。

免許証を手放して得たもの

私が手放したのは一枚の免許証でしたが、その代わりに手に入れたのは、

  • 緊張のない日常
  • 焦らない時間
  • 穏やかな心

そんな人生の余白でした。

それは「運転ができなくなった」のではなく、「運転をしない人生を選んだ」という能動的な決断です。

もし、同世代の方でハンドルの重さを感じている方がいるならば、取り返しのつかない事故を起こす前に、自らの意思で「卒業」を決めることをおすすめします。

ハンドルを置いたその手には、きっと新しい自由と、代わりに家族の安心が握られていることでしょう。